広島で就農を決意した二人が、海外でのブドウの研修も含めた、世界旅行に出ることにしました。
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イタリアからアジアに戻り、ネパールにやって来ました。
心配していた荷物も無事に受け取れました。

来る前のネパールのイメージは、蒸し暑くて、人が多くて、騒音がうるさくて、客引きや物乞いに囲まれて‥と、苦労を予想していたのです。

実際カトマンドゥの町に入って見ると、確かに人が多くて、車やバイクの騒音はすごいのですが、
客引きはそんなにしつこくないし、物乞いの人もそんなに多くありません。
町にはトレッキングや観光で訪れている外国人観光客も多く、ナポリで感じたような不穏な雰囲気もあまりしないのです。

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通りを歩くと、色とりどりのサリーを着た女性達や、お店のお土産や、
飾り付けられたリキシャー(自転車タクシー)、寺院のお供え物などで、色鮮やかな世界が広がります。

世界の貧しい国の中の一つなのか、ネパールの物価は驚くほど安いです。
食堂は100円あれば1品食べられます。屋台では蒸餃子が10個で30円だったりします。
味は私達の口にも合います。

私達の宿は二人で一泊300円です。

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そのかわりエアコンなし、シャワー室の電気がつかなく、換気扇もありません。
扉の建てつけも悪く、シャワー室の扉が完全には閉まりません。
そのため、シャワーを浴びた後は、部屋全体の湿度が高くなるので、入り口の扉をパタパタして換気します。
枕が臭います。このホテルは最初、400円と言われ、熱いシャワーがでないと私達は勘違いしてて出ようとしたところ、300円まで値が下がりました。

服やお土産も安く買え、トレッキングの服も安く仕入れました。

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これだけ買っても1500円でした。山の有名ブランドもありますが本物かはわかりません。

ただビールとワインに関しては、そんなに安くはなくフランスの方が安かったです。


ネパールの国教はヒンズー教ですが、宗教施設は日本のお寺に似てたりします。

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独特のレンガの色をしていて、汚くて、壊れそうで、長年の歴史を感じます。

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窓や屋根が傾いていたり、瓦の隙間の土に草が生えていたり、観光している間も現地の人がお参りしていたり、
子供が遊んでたり、お寺の周辺に市場や屋台や家が広がり人が多く混沌としていて、昔から地域と共にあることを実感させられます。
こっちと比べると、日本のお寺は歴史があっても綺麗にしてたり、補修しているので何百年という時間が違う時間のように思えてきます。

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左がある寺の入り口で、右がそのお寺です。
このお寺はメインストリートの一本隣に建物に囲まれてあるのですが、ここに入ったとたんメインストリートの喧騒が聞こえなくなり、神聖な場所と雰囲気を一気に感じました。

またネパールの、工事現場を見ました。

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女の人が石を背負っています。その傍らにはおそらくその人の4歳ぐらいの子供が遊んでいました。
石を救うショベルは二人でがかりで作業をしていました。

ネパールのルピーと日本の円の交換率は今は1対1なので計算も楽です。
USドルは1USドル77.08ルピー(77.08円・・・ちなみにこの日の国際金融市場はドル円で安値76.81高値77.54)で交換なので、手数料がないような気がしました。
なので緊急用に持っていた日本円を、トレッキング用に大量に交換しました。

また私達がもっている4年前の歩き方には1ルピーは1.7円で、約6割に価値が下がっていました。
円高になってるけど、この貧しい国でさらに下がるのは何かあったのでしょうか。
海に面していない途上国は成長が難しいのでしょうか。


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[2011/10/15 09:54] | ネパール
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ありがとう
さくらぎ
結婚式のお祝いメッセージありがとう

新婦もとても喜んでくれました
大成功です

二人の姿がうつると
ゲストの皆からも拍手と歓声が上がってましたよ

本当にありがとう

こちらこそ
健治
さくらぎさんへ
こちらこそ、前に大変お世話になっているから、結婚式に少しでも協力できてよかったです。

帰ったら、またみんなで同窓会しようね☆


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ネパール滞在も3日目になり、目的のエベレスト街道のトレッキングを行うために、行動を開始してました。
前に伝えた服を買い、食料を買い、荷物を仕分けしたりしてました。

今日は朝の6時過ぎに起きて空港に行き、いざ麓のルクラという街まで飛行機で行こうとしたところ、
なんとルクラ行きの飛行機が飛んでいないというのです。
向こうでは天気が悪くて視界が1mもないというのです。
昼の12時まで待っても事態が改善されないので、今日のフライトは諦め、次の空席がある明後日に予定を変更しました。

空港からの帰りに、パシュパティナートというお寺に寄りました。

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ここはヒンズー教の寺院で、ネパールの中では一番大きいお寺みたいです。

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お寺の中にはサルが一杯います。出産時期なのか子連れです。



お寺の山の上からの風景で、前の「と」さんの言っていた構図を考えて、陽子と同じ場所で写真を撮りました。(撮影ポジションは陽子が選びました。)

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どっちが陽子でどっちが健治かわかりますか。
答えは右が陽子で左が健治です。どっちがいいですか?

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立ち位置も健治が選ぶとこうなり,二人の中でこれが一番いい構図となりました。


カップルや若者がいっぱいいます。
街から外れた場所にあるのですが、わざわざお寺にデートをしにきたり遊びに来るみたいです。

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火葬場もありました。
亡くなった人の足を川に漬けている所に出くわしました。

疲れたので、あと一箇所回って宿に帰ろうとしたところ、陽子が急に、俺の名前を呼びました。
「鳥の糞が落ちた」って言うのです。
見るとズボンに膝の部分と頭のつむじのちょうどド真ん中に緑色の鳥の糞が乗っていました。

とりあえず気の毒なので優しく介抱し、最後のスポットに向かいました。

そこはヒンズー教徒だけの場所なので追い返され、背を向けて帰ると俺の足に何かが当たりました。
外国人なので誰かが冷やかしで小石でも俺に投げたのかなと思い、少し気分が悪くなり宿に帰ってきました。
宿に帰りズボンを脱ぐとなんと、ズボンの裾に小銭が入っていました。
当たったと思ったのは小石ではなく、お金だったのです。
小石と思った場所は、お堂の脇で、その上に小銭が投げ乗せる風習があって、その流れたコインが俺の脚の裾に入っていたのでした。

今日、陽子は空から鳥の糞が落ちてきて、健治はお金が降ってきました。
よりウンがついているのはどっちでしょうか?

[2011/10/16 23:22] | ネパール
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そうですね。
考えてお写真とって頂き有難うございます。
自分も二人が移っている写真がいいと思いました。(1,2枚目はぐっと木間s年でした(^^;))
今月、心にきた写真は9/26海の写真、
10/10健さんが写っている山の上の写真、陽さんの写っている展望台の写真、10/15のコロッセオの写真(1枚目)、バチカン広場の写真が良かったですね。中でも10月の”と”大賞は・・・
10/10陽さんの写っている展望台の写真です!
宇宙と大気圏の間、そして地上の町並みが写っていて良かったですよ!
ということは今月は健さんに軍配!?
でも本当に良い旅ですね。
うらやましい。人生観変わりそうやね(^^)

残念‥
陽子
10月のと大賞を健治に奪われ、ショックです‥。
でもさすがとさん!大賞に選ばれた一枚は、健治が構図を考えて何枚も撮ったうちの一枚なのです。
他の候補はほとんど私でしたよ☆と言っても、ほとんどカメラを持っていたのは私なのですけど。
11月のと大賞目指します!でもエベレストの写真はほとんど健治が撮っているので、選考の対象から外して下さいね。

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10月19日。3度目にしてようやくルクラ行きの飛行機が飛び立ちました。
飛行機は乗客15人程の小さな物です。
操縦席も丸見えで、なんだか怖いです。
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飛び立つとすぐに、白く雪をかぶったヒマラヤ山脈が前方に見えてきました。
眼下には、山の斜面に作られた、小さな棚田(畑?)がびっしりと広がっています。ネパールの農家は大変だなぁ。
飛行機は約30分程でルクラに到着。大きな揺れもなく、無事に着きました。
ルクラの空港は、山の斜面に作られた、すごく小さな空港です。滑走路もすごく短いです。
後で聞いたところでは、一年に一回くらい墜落事故が起こっているそうです。やっぱり‥。
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ルクラで宿を確保し、今回のトレッキングのガイドを探します。
宿のオーナーが少し日本語が話せる方で、私達の代わりにガイドを探してくれました。
最初日本語を話せるガイドを希望したのですが、今はシーズン中の為、日本語が話せる人は皆出払っているとのこと。
代わりに、英語を話せるガイドの方を紹介してくれました。
ディルバードル・ディレイ君。21歳。エベレストのあるクンブー地方の、タマン族の青年です。
昨日別のツアーリストのガイドから戻ってきたばかりなのに、明日出発の私達のトレッキングに同行してくれることになりました。すごくタフです!

私達のトレッキング行程
10月20日 ルクラ(標高2840m)→ モンジョ(2835m) 距離約12km
10月21日 モンジョ → ナムチェ(3440m) 距離約5km
10月22日 ナムチェ ⇔ シャンボチェ(3880m) 距離約4km
10月23日 ナムチェ → ディボチェ(3820m) 距離約10km
10月24日 ディボチェ → ペリチェ(4240m) 距離約8km
10月25日 ペリチェ → トゥクラ(4620m) 距離約4km
10月26日 トゥクラ → ロブチェ(4910m) 距離約3km
10月27日 ロブチェ → ゴラクシェプ(5140m) ⇔ エベレストベースキャンプ(5364m) 距離約15km
10月28日 ゴラクシェプ → カラパタール(5550m)→シュマル(4010m) 距離約16km
10月29日 シュマル → ナムチェ(3440m) 距離約13km
10月30日 ナムチェ → パクディン(2610m) 距離約8km
10月31日 パクディン → ルクラ(2840m) 距離約8km

高山病になるリスクを出切るだけ減らしたいのと、陽子の体力を考えて、出切るだけ少しずつ高度を上げていく12日間の行程を組みました。
いよいよ明日、出発です!   

[2011/11/01 15:45] | ネパール
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10月20日。トレッキング初日。ルクラ→モンジョ。
今日のコースはほぼ下りか、平坦な道です。
ガイドのディレイ君と話しながら進みます。
彼はルクラから歩いて2日程かかる村の出身で、村の標高は約3000mもあるそうです。
以前はツアーリストの荷物を運ぶポーターをしていて、最高40kgもかついで歩けるそうです。
エベレスト近辺のトレッキングはポーター時代も含めて7年目で、ルートについて大変詳しく、頼りになります。
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私達は今回ポーター(荷物を運んでくれる人)なしで、自分の荷物を背負ってトレッキングを行います。
健治と私、それぞれ10kg程のザックを背負います。
始めは重く思わなかった荷物が、歩き始めて2時間程経つと、ずっしりと重く感じるようになりました。
これから12日間、この荷物を背負っていかなくてはなりません。
本当に標高5550mの地点までたどり着けるのだろうか‥。道のりは遠いです。

2時間半歩き続け、途中のパクディンという町でお昼ご飯を食べます。
午後は体力が回復し、順調に進みます。更に2時間半程歩き、モンジョに到着。今日の宿泊地です。
町中を散策し、夜ご飯を食べると、もうすることがありません。20時頃には就寝。贅沢な生活です。
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10月21日。トレッキング2日目。モンジョ→ナムチェ。
朝から弱い雨。雨はそれ程強くないが、川原の石が多いところを歩く為、足元が悪く、歩きづらい。
1時間程歩くと、橋のふもとに到着。ここからナムチェまで、約2kmで600mを上がる急坂です。
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しんどいことは予想していましたが、やはりすごくつらいです。
空気の薄さと荷物の重さに息を切らしながら上がっていきます。
ディレイが時々、大丈夫?と振り返って確認してくれます。
なんとか予定通り、出発から3時間でナムチェに到着しました。

ナムチェでは、毎週土曜日に大きなバザール(定期市)が開かれます。
今日は金曜ですが、すでに沢山のお店が開いていました。
野菜や果物、お菓子、衣類など、いろいろなお店があり、周辺の村々から沢山の人が集まってきます。
中には中国から来ていると思われるお店もあります。
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ナムチェの町を散策中、火遊びをしている子供達に遭遇。ナムチェの町は日中でも寒く、一生懸命枯れ草に火をつけようとしています。
一緒に遊んでいると、お母さんが出てきて、子供達と一緒に怒られてしまいました‥。
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10月22日。トレッキング3日目。ナムチェ⇔シャンボチェ
今日は高度順応のため、ナムチェにもう一日滞在します。
昨日とはうって変わって、朝から快晴。
ナムチェから1時間程急坂を登り、展望のよいシャンボチェの丘に登ります。
シャンボチェの丘にはエベレストビューロッジという、日本人が建てたロッジがあり、ここのテラスからエベレストが眺められます。
3人で紅茶を飲み、一休み。
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明日から再び先に進み、毎日高度を上げていきます。

[2011/11/01 15:53] | ネパール
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10月23日。トレッキング4日目。ナムチェ→ディボチェ
ナムチェを出ると、後はしばらく平坦なコース。
進行方向にあるエベレストがどんどん近づいてきます。
ずっとビューポイントを歩いているような、素敵な道です。

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2時間半程歩いて川の近くに降り、お昼ご飯を取ります。
午後はそこから2時間程かかる、急坂を登ります。
前を歩くディレイの足元だけを見つめて、ゆっくりゆっくり進みます。
1時間程登り、休憩。タムセルクという山が間近に見え、景色を楽しみながら休憩します。

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もう1時間程坂を登り、タンボチェという町に到着しました。
ここにはチベット仏教の大きなお寺があり、ここでトレッキングの安全を祈願します。

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お寺の中を見学していると、ある部屋で若いお坊さんが小麦粉のようなものを練っていました。
お昼ご飯でも作っているのかな、とのぞいてみると、小さな塔のようなものを沢山作っていました。
聞くと、11月にある大きなお祭りのお供え物を作っているのだそうです。

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13時頃から、お坊さん達総出の祈祷があり、ツアーリストも参加してよいとのことだったので、見学させてもらいました。
お坊さん達が一斉にお経を読み、太鼓や笛や大きなラッパを吹いたりして、荘厳な光景でした。

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タンボチェから15分程歩き、ディボチェの町に到着。
今日の宿からはエベレストが見え、夕日に赤く染まるエベレストを眺めることができました。

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10月24日。トレッキング5日目。ディボチェ→ペリチェ
今日はアマダブラムという山を眺めながら歩きます。アマダブラムという名は、「双子の姉妹」という意味だそうで、綺麗な二つのピークが見えます。

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ここ数日の疲れがたまって来ているのか、体が重く、坂道がつらく感じます。
約2時間歩き、シュマルの町に到着。この町の標高は、もう4000mを超えています。
お昼を食べてエネルギーを補充し、午後1時間程歩いてペリチェの町に到着。
ペリチェの町には診療所もあり、病気やけがをするとここで診てもらえます。

午後早くにペリチェの町に着いたので、高度順応の為、ペリチェの裏山に登りました。
荷物は宿に預けて身軽になったため、すぐに200~300m登れます。
登っていくと裏山の向こうのアマダブラムが、更に近くに感じられます。

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しばらく裏山を歩いてからペリチェに降りると、ペリチェの町にヘリコプターが飛んできました。
近くで見ていると、ヘリに人が担ぎこまれていきます。
高山病か、あるいはけがをして動けなくなった人のようです。
トレッキングをしていると、毎日こういった緊急ヘリが飛んでいくのを数回見かけます。
ヘリが出動すると1000万円くらい費用がかかるそうです。
私達は海外旅行用の保険には入っているものの、登山用の保険には入っていません。
絶対ヘリを呼ぶようなことになってはいけない‥。高山病とけがには要注意です。

夜少し頭痛を感じ、ダイアモックスという高山病に効く薬を飲んで寝ました。
いつもより多少寝づらく感じます。
薬の効果か、翌朝には頭痛は消えていました。

[2011/11/01 16:04] | ネパール
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10月25日。トレッキング6日目。ペリチェ→トゥクラ
今日は約4kmの短いコースで、高度を400m程上げ、4600mの高さに上がります。
最初川沿いの平坦なコースを1時間程歩き、その後50分程坂道を登ると、今日の宿泊地・トゥクラに到着です。

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午後は近くにある湖を目指します。
1時間程歩いて、湖に到着。

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他に来る人もおらず、静かな湖でのんびりと過ごします。
健治が大きな岩の上に石塔を作り始めました。
こういう時の健治は止められません。30分程熱中して作り、記念撮影。

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夜ご飯にダルバード(豆スープご飯)を食べました。
高山病対策には体を温めるのが一番、と思い、チリスパイスを加えて食べました。
ところがこれが災いの元‥。チリスパイスは想像以上に辛く、食べた直後からしばらく下痢に悩まされたのでした‥。

10月26日。トレッキング7日目。トゥクラ→ロブチェ
今日は出発直後から、急坂に突入します。

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毎日朝の歩き始めは息が切れてつらいのですが、今日は一段としんどいです。
50分程で坂を登りきると、そこには登山で亡くなった人たちの石塔が沢山立っていました。
日本人の名前もあります。

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更に1時間程歩いて、今日の宿泊地のロブチェに到着。
標高は4900m。このあたりで高山病になる人が多いようです。
お昼を食べて、荷物を宿に置いて、裏山に登ります。

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毎日荷物を担いで歩いている時には、しんどさの為に景色を楽しむ余裕がありませんんが、こういう瞬間はじっくりと景色を味わえます。
ここまで予想外の下痢に襲われはしたものの、頭痛などの高山病の症状はあまり出ていません。
その日の行程を終えても、裏山に登ったりして体を動かしている為に、高度順応は上手く出来ているようです。

夜ご飯の時に、手をけがした日本人の男性に会いました。
手をけがして出血があるためか、ここまで高山病に苦しみながらも上がってきたそうです。
しんどい状況だろうと思われるのに、お兄さんはとても明るく、けがのことなどを話してくれました。
つらい中でも明るく振舞えるお兄さんに感動し、下痢で少しテンションの落ちていた私も、元気をもらいました。
明日はいよいよエベレストベースキャンプに向かい、明後日は今回の最高標高のカラパタールで日の出を拝みます。
最後まで絶対やり切ろう!!

[2011/11/01 16:13] | ネパール
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10月27日。トレッキング8日目。ロブチェ→ゴラクシェプ⇔エベレストB.C
ロブチェから2時間程歩いて、今日の宿、ゴラクシェプに向かいます。もう標高は5000mにもなります。
少々アップダウンもあり、2時間の道のりでへとへとになって、ようやくゴラクシェプに到着。

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ここで荷物を預け、エベレストベースキャンプに向かいます。
最初荷物がなくなって、余裕かも?と思ったのもつかの間、やはり荷物がなくても、この高所では歩くだけでしんどいです。
途中で今にも土砂崩れの起きそうな危険地帯があり、急ぎ足で駆け抜けます。
2時間半ほど歩き、最後は氷河の表面に石ころが乗っているようなところを歩いていきます。

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滑りやすく、気が抜けません。体も心もへとへとです。
ようやくベースキャンプにたどり着くと、そこにはちょうどこれからエベレストに登るであろう登山隊のテントが張ってありました。
エベレストの斜面がすぐ目の前です。

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今回のトレッキングの一つ目の目的を達成!ここまで辛かった~。
ディレイと3人で記念撮影。残念ながら、エベレストの頂上が切れてしまっています。逆光で光の具合も悪い‥。

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プモリという山を背景に、取り直し。

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10月28日。トレッキング9日目。ゴラクシェプ⇔カラパタール→下山
朝4時に起床。今日はカラパタールの頂上で朝日を見るため、5時には登山を開始します。
クッキーを数枚口に押し込み、出切るだけの防寒具を着込んで、出発します。
まだ辺りは暗く、星が綺麗です。ただ星空を楽しんでいる余裕はありません!
少し頭痛がするので、用心して、ゆっくりゆっくり登ります。
だんだん空が白み始めてきます。

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1時間程登ると、ようやく目指す頂上が見えてきました。
最後は岩がごろごろしているところを登って行きます。
朝6時40分、とうとう頂上に到着!標高は5550m。
なんとか日の出前に到着し、あとは日の出を待ちます。
カラパタールの頂上は非常に寒く、じっとしていると足先が冷えて痛くなってくるため、足踏みをしながら待ちます。

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しかし、日の出は7時頃と聞いていたのに、7時になってもまだまだ日が差しそうな気配がありません。
どうやらカラパタールの頂上が、エベレストの隣のヌプツェの山陰にちょうど入ってしまっていて、周りよりも一段と日の出が遅くなっているのです。
他の登山客が記念写真を撮り終え、どんどん下山していく中、私達は約1時間頂上で寒さに耐え、ようやく朝日が差したのは7時40分頃でした。

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これほど日の光を待ち望んだことはこれまでなく、日が差した瞬間の感動は忘れられません。
苦労した分、記憶に残る光景となりました。

エベレストベースキャンプと、カラパタールの朝日という二つの目的を達成し、後はひたすら下るだけ‥。
下山は4日かけ、トレッキングスタート地点のルクラの町に帰りました。

後はルクラの町からカトマンドゥ行きの飛行機に乗るだけ☆
と思ったら、ルクラの天候が悪く、現在フライト待ちです‥。
早く暖かい町に戻ってホットシャワーを浴びたいなぁ。

[2011/11/01 16:24] | ネパール
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スナフキン
しばらく、HPみてなかったら、山登ってるね!!
こっちはまだ暖かいですよ!写真見たら、どっちがどっちかわからなぐらいくりそつになってるよ!似たもの夫婦の道を突き進んで!


陽子
スナフキンさん

似たもの夫婦‥
喜んでいいのでしょうか?
昨日インドに入国しました!
騙されないよう、警戒が必要です!!
またアドバイス下さいね~☆

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健治にとって今回のトレッキングは、実は二回目でした。
最初は5年前の専門学校に行っている、ちょうどこの時期に卒研をサボらせてもらい行かせてもらいました。

今回の詳細は初めての陽子にいろいろ書いてもらいました。
健治が改めて感じたのは、賽の河原、三途の川が晴れていたらこんな風景なのかもしれないっていうのと、
山の麓では昔の日本の街道のような風景なのかなと意識をして歩いていました。

そして私は5年前と現在の違いについて書こうと思います。
5年前に強く記憶に残っている事は3つあります。それぞれ下の写真です。
左側に今年、右側に5年前の比較の写真を載せようと思います。




山5年後  山5年前
   今年                        5年前

山頂からの写真。前回は11月半ば登り太陽が出てくる場所が違います。
そして雪が被っている位置も大体一緒です。温暖化の影響は時期が違うものの、この写真ではわかりませんでした。



あ1 あ2 あ3
今年健治               陽子                5年前

朝日を受けている写真。
今年は5年前を意識して、同じ構図で撮って見ました。
よく見ると、旗の多さとかは違いますが、足場の石の形も5年前と一緒な所が感動です。



フリーダム5年後1  フリーダム5年前
   今年                     5年前

フリーダム5年後

今年の発見当時の写真。


そしてこの写真は、誰も行かない丘の上にひっそり置いてある石の写真です。

写真を見てもらうと、文字の石の色と形が同じだったり、右上の石も5年前から全く動いていない事がわかります。
発見時は、砂に埋もれて分かりにくくなっており、砂の上から出して置きなおしたため、今年の全体図と5年前の全体図の石の位置は若干違います。

このエピソードを語らせてもらいます。、
5年前に、道がないような自然の丘を、霧が深い中一人で散歩していると、目前にいきなりこれを発見したのです。
これを見たときに、人が誰も来ないかもしれない場所に、石で「FREEDOOM」ってロマンチックを感じました。風景に溶け込み謙虚な主張だったのです。
普通の人は、名前を落書きしたり、ほったり、個の足跡を残そうとするけど、これを作った人は、ただ「自由」とその言葉だけを残して去ったのです。
辛い思いをして山に行くのも自由、道がないこの場所に来るのも自由、そして山を降りた後も自由、何をするのも自分の意思で責任なんだと、そんな風に5年前の学生時代に感じました。

今回、これを再発見した時は、かなり嬉しかったです。5年の間に、誰かがこれを発見して何かを感じたかもしれません。自分がこれを発見して嬉しかったように、誰かにまた感じてもらいたかったので、修復しておいたのでした。

もしここに来る人がいれば、探してください。そして私に教えてください。
場所はペリチェとディンボチェを結ぶ丘の道から、一番ペリチェ側の稜線をロブチェ側に200mぐらい行くとあります。


あと今年来てびっくりしたのは、ポーターやガイドが全員といっていいほど、携帯電話を持っていて、歩いている途中に、現代ネパール音楽を鳴らしているのです。

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前回は携帯もないし、音楽と言ったら朝の宿で流れる仏教の音楽だけでした。

時代は本当に変わります。30年後に来てみたいと思いました。

[2011/11/10 00:20] | ネパール
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まったく予期してなかったのですが、山に来る前に天気が悪く5日足止めをくらいました。
そしてさらにカトマンズに戻ろうとした所、ルクラにいるのですが、また天気が悪くて飛行機が飛びません。

登山中は天気が良かったので、綺麗な景色をバックに歩くことができ満足でしたが、私達が空港に戻ってきた日から霧が出て天気が悪かったのです。

また陽子は、5500mまで行った時は体調が悪いながらもなんとか持ちこたえて歩いていたのですが、ここルクラの2800mまで戻ってきて、それまでの疲れが一気に出たのか、ご飯を食べれなかったり体調が悪くなっています。

今、ルクラの町は外国人の不満がたくさんたまっています。いつ帰れるのか皆不安で元気がないです。
元気がいいのは、子供とルクラの町のホテルのオーナーだけです。

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日本の援助で建てられてた焼却炉を発見。センキュージャパンと私に言われ、何もしていない私ですが、少し誇り高くなりました。


登山の行動中も疲れてて寝るのが早かったのですが、持っている本も読み終わり眠るのが早いです。
疲れてなくてもする事もなく、ベッドの上が暖かいので、気づいたら7時や8時に寝てしまっています。
日本にいると、何もなくてもテレビを見ておきているのですが、本当に何もないと寝るのも自然と早いのです。
昔の侍とかはすることもなく、暇だったと思うので、私達と同じような生活をしていたのではないかなと思いました。
ただ夜中に何度も目が覚めるので、主や国の事を思う時間は山ほどあったのだと思います。
私達は夜、目が覚めても取り留めないことを考えて、ただ再び眠れるようにと布団にくるんでいるだけでした。


上の文章を書いた後さらに経ちルクラに着いてから、4日経ちました。
見飽きました。町が縦に200m程しかない小さな町です。いつものお土産、いつもの露天、景色も霧でよく見えない。
日増しに、町をブラブラしている外国人が多くなっています。

私達は出国の飛行機等の期限はないですが、普通の人は帰りの飛行機までにカトマンズに戻らないといけないのです。
昨日同じ宿に泊まっていた外国人は、途中まで歩いて行く決断をし宿を出発していきました。
あるグループは、US4000ドルを出して、ヘリコプターで戻っていっています。
そんなヘリコプターも昨日と一昨日は霧が濃すぎるために、ろくに飛んでいなく、ヘリコプターでさえ乗車待ちでいっぱいだそうです。

この国の飛行機のルールは特殊なので、私達の個人の安い切符が乗れるかどうか不安になり、1ヶ月のビザ期限まではまだまだ時間があるけど、もしかしたら乗れないのではないかと思ってきました。

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霧の中の風景。毎日一日中こんな感じなのです。

宿の主人が1週間は天気がよくならないとラジオで言っていると言ってました。
その話を聞いて、二人で相談した結果、本来は飛行機の所、歩いて戻る決断をしました。

[2011/11/10 19:31] | ネパール
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ルクラからカトマンズまで行こうと決めて情報収集をして、歩き出しました。
結論からいうと舐めていました。5500メートルの標高に行った時よりもハードでした。
急いで長時間歩く事にした自分が悪いのですが、心が何回も折れそうになりました。

飛行機では40分ぐらいの距離なのですが、山越え谷越え1日約8時間くらい歩くこと5日間、その後バスで11時間、昨日の晩になんとか帰ったのです。
だいたいの標高と時間を書くと、
1日目:2800m→2300m→2900m→2000mカリコーラ 8時間 
2日目:2000m→1600m→2300m ヌントラ 4時間
3日目:2300m→3000m→2700m ジュンベシ 8時間
4日目:2700m→3500m→1600m キンジャ 8時間
5日目:1600m→2500m→1900m シバラヤ 8時間

1日目は陽子とある町を待ち合わせにしてたら、その町が存在しなくて道に迷いました。アメリカ人に「陽子が君の事を上の町で探しているよ」と教えてもらいなんとか合流。

2日目には雨に打たれて、服がぬれました。

3日目には、陽子と再度ある街の喫茶店を待ち合わせにして、100m後にぐらいいる事を確認して先に喫茶店で待っていると、30分経っても陽子が喫茶店に来なかったので、私に気づかずに先に行ったと思いました。
ですが実は陽子が道に迷い1時間30分も違う道に行ってて、この日はほとんど別行動で、宿泊予定地で何とか合流。

4日目昨日の晩から、健治の左足首が痛いと思ってたのですが、朝起きるとよく曲がらずに片足立ちで体重を支えられないほど負傷してました。和式のトイレでバランスよく用を足すのが困難になり、斜めの角度か中腰でする始末でした。
しかも、この日の行程が800m登り、1900m下るという一番きつい行程。下りでは谷底の町は見えても、標高差はなかなか縮まらず、足も痛く本当にしんどかったです。
またこの日はルクラの方に飛行機の跳んでいる音がしているけど、なぜか私達の周りは霧に囲まれて見晴らしがよくなかったです。

5日目はようやく天気がよくなりました。でも足の痛みが消えず、またも山越え。もうたくさんと、ノーモアウォー、ノーモアウォークと一回浮かんだこの言葉がずっと頭から離れず、心の中で叫んでました。

他の日本の人のホームページで知ったのですが、標高差だけを累積すると1万メートルを超えるらしいのです。
足場も岩がゴロゴロして、滑ったり、つまづいたり、段差がすごかったり、狭い足場に牛や馬のウンコが乗っていたり、気を使わないといけないのです。

6日目、シバラヤの町からカトマンドゥまでバスで11時間かけていくのですが、最初の2時間はひどい山道でした。
途中休憩のためバスが止まったのですが、みんな山に駆け込んでいました。女の人もたくさん山に散っていっています。トイレがほとんどでしょうけど、二人ほど吐いている人を見ました。
それを横目に前を向いていると、前の席に座っているおばちゃんが、バスの窓からそのまま吐いていました。
恥じらいという心はないものなのでしょうかね???
また健治の席は椅子に背をもたれると勝手に徐々に倒れていくのでたまに直す必要があり、横の窓は鍵がなく坂道で振動があったり、急ブレーキするたびに窓がすぐに開いて寒いのです。
席を戻すのと、窓を閉めるので気が抜けない11時間でした。

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霧の中の風景



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足が痛くて、拾った木の棒を杖にしてあるいています。


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ネパールの山間部は日本の棚田百選とか千枚田とか比較にならないほど、すばらしい棚田の風景が広がっています。


写真の奥の山を越えてきました

5日目の2500mからの写真。4日目は写真の奥の山(3500m)を越えて谷底に行きました。こう見るとすごい場所を歩いてきたものだと、また現地のポーターは毎日歩いて本当に偉いと思います。



いろいろありましたがカトマンズに戻れて一安心です。
気づくとビザの残りの日数があと2日しかありません!!
急いで移動の準備をしてインドに向けて行動を開始です。

[2011/11/10 19:46] | ネパール
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大事な事を書くのを忘れてました。
イタリアでは、なんとかスリから財布を取り戻しました。
が、なんとルクラで陽子が財布を紛失したのです。

ルクラから歩いて戻ることを覚悟して、夜に上等な木の杖を120円で買ったその帰りでした。
宿に帰ってすぐにおつりを分けておこうとしたら、財布がないと言うのです。

お店から宿が100mしか離れていなく、誰も不信に近づいてきた人はいないので、すられたような感じもしないのです。
おそらく落としたとの事。すぐに探しに行っても、発見することはできませんでした。

せっかくイタリアで取り返した財布でしたが、まさか落として紛失するとは、少し飽きれました。

はたしてその被害額は、日本円で1000円のみ。

イタリアの一件以来、陽子がお金を持ちたくないと言ったのと、クレジットカードは腹巻にしまっていたので、被害が最小限で済みました。
木の杖が1120円だったと思えば、たいしたことはないのですが、遺恨が残ります★★★

財布を発見した人は、どう思ったでしょうか?
額だけに日本人が落としたとは思わないでしょうね★

[2011/11/15 21:42] | ネパール
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すなふきん
財布落としましたか!残念です。お金は単なる共同幻想のもとなりったている物。ましてやよその国、紙切れと一緒、気にせず前進あるのみ。まつけんがインド人を模した格好で2匹目のドジョウを狙ってます。

心強いお言葉!
陽子
スナフキンさんのお言葉を励みにこれからも頑張って行きたいと思います☆前進あるのみ!!
まつけんがインドに目をつけるとは以外ですね!
大流行するとはあまり思えませんが‥?

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ルクラから戻りカトマンズにいる時に、ビザの残りの期限が明日までしかないと気づき、あせりました。
行きたかった仏陀の生地のルンビニがインド国境近くにあるものの、バスで7時間くらいかかるのです。

さいわい午前中に気づいたので、夜行バスで午前中に着き、観光した後にインドにいけば間に合うときづき、急いで予約をしにいきました。
本当なら、ルクラから飛行機で戻り、ゆっくりしているはずなのですが、まだまだ休ませてくれません。

予約した際に、値段は高くなく、リクライニングして良い席だと言われラッキーだと思ったのですがいざ乗ってみると、
リクライニングは十分するものの、前との距離が近すぎて、膝が前の席にあたったり、座高が高い健治が姿勢をただして座ると天井に頭があるなど、窮屈なバスでした。
外国人は私達だけで、また陽子は前の席に座った3歳ぐらいの男の子から、断りきれずにへんなお菓子を手のひらいっぱいもらって食べてました。



ルンビニに到着後、さっそく見学。
仏教の4大聖地の一つらしく、どんなものか楽しみにしていました。

IMG_3485.jpg IMG_3501.jpg


これが仏陀の生地の一番の目玉です。解説は、他の本やサイトにゆずります。
高さは大きい木の高さと一緒で、正直な感想は、思ったより質素で味気ないという気持ちです。

聖地=テーマパークのような何かがあるというイメージを持っていました。
バチカン市国に行った際も、荘厳美麗で見応えは十分にありました。
聖地が保護区になっていて、入り口から歩いても、森に隠れるようにひっそりとあり遠くからは見えなくて、建物も大きくなく、主張があまりないのです。
インド国内では退廃した仏教の扱いだからかはわからないのですが、ただこの聖地を見たときは、宗教の本来の聖地として納得しました。
おもしろさでもなく、飾りでもなく、心の問題なのだろうなと。

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このすぐ側では、菩提樹の下で僧侶がお供えを受け付けていたり、話をしていました。
ネパール=チベット仏教なので、五色の旗がきれいに飾ってありました。

IMG_3503.jpg IMG_3498.jpg


中心部の周りには、各国のお寺があります。
左韓国 右ネパール 

日本、韓国、中国、ネパール、タイ等などです。各国のお寺が自国の文化のスタイルで建ててあったりしており、中心部より大きく、華やかな感じでした。


[2011/11/15 21:46] | ネパール
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