広島で就農を決意した二人が、海外でのブドウの研修も含めた、世界旅行に出ることにしました。
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インドを発ち、カンボジア・プノンペンに到着しました。
インドの町の喧騒、砂埃、路上のごみや牛の糞に慣れていた私達にとって、カンボジアの町は輝いて見えます!
路上にごみや牛の糞なんてなく、町には大型のビルが建ち並び、スーパーやコンビニだってあります。
ホテルも綺麗です。
客引きのおじさんもインド程しつこくありません。

そして何より嬉しいのは、料理が辛くないこと!!

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インドではスパイシーじゃないものを食べられるのはすごくまれでしたが、こちらの料理は甘い味付けのものが多いです。
久々に白いご飯と一緒におかずを食べて、幸せをかみ締めます。
やっぱり、白いご飯って、最高に美味しいです。

カンボジアに入国して、なんだかホッとしてしまいました。
ようやくあのインドの戦いの日々から解放された気分。

こんな軽い気持ちで始まったカンボジアの旅。
私達のカンボジア入国の目的は、アンコールワットに訪れることと、ミャンマービザを取ることで、この国についてほとんど前情報を持たずにやってきたのです。
でも、この国の過去について知るに連れ、印象は大きく変わって行きました。

私達がプノンペンで訪れた場所は、「キリングフィールド」という所です。
場内には日本語のオーディオガイドがあり、詳しい解説を聞きながら回って行きます。

1970年代、カンボジアではポル・ポト率いる共産主義勢力が政権につきました。
ポル・ポト政権は彼らの理想とする共産主義を実現するため、邪魔になる人々を次々と殺していったのです。
殺されたのは、政府への反逆者だけでなく、教師・弁護士・科学者等の知識階級、都市住民、伝統技術の継承者などの一般のカンボジア人です。
ポル・ポト政権時代の数年間に、約200万人、人口の約4分の1ものカンボジア人が処刑されたそうです。
今の日本で同じ事を考えると大変なことです。自分の周りにいる知り合いや友人の4人に1人が、行方不明の音信不通に突如なり、殺されてると思うと信じられない出来事です。

キリングフィールドはその時の処刑場です。
近隣の住民にも知られずに、小さい敷地ですがここで何千人以上もの人が殺されたそうです。

自分が埋められる穴を自分で掘らされ、その前に立たせて、銃弾が勿体無いとくわや斧など農具で撲殺したり、
ギザギザの葉っぱで喉をかききって殺す。
そして人間の断末魔が近隣に聞こえないように、民族高揚の音楽をずっと大音量でかけていたそうです。
近隣の人は、軍隊がそこにいて会議や訓練をしている認識しかなかったそうです。
ガイドを聞いてるだけで本当に恐ろしくなります。
また餓死寸前まで追いやり、DDTの饅頭を食べさせて薬殺し、その穴の上にさらにDDTを振り掛けて埋めるなど、
「イノチ」ではなく「モノ」、虫が湧かないよう効率よく殺す事しか考えないことにも、恐怖を感じました。

処刑された人々が埋められた場所。今は掘り返されて大きな穴になっています。

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今でも雨の後には遺骨や服の布が地表に出てくるそうです。
ポルポトが去った後の発見時は腐敗ガスが地面を盛り上げて山になっており、
そこの割れ目から半腐乱状態の死体がたくさん見えて、臭いも強烈で地獄の様とガイドが言っていました。
想像するだけで本当に地獄です。


キリングツリー。

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子供が木に頭を打ちつけられて殺された場所。大人が赤ちゃんの足を持ち、木に叩きつけている絵がありました・・・
将来、大人になると恨みを持つと、たとえ赤ちゃんだろうが一家全員根絶やしにしたみたいです。


慰霊塔。

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慰霊塔にはここで発見された殺された人々の頭蓋骨が沢山納められています。

ここを見学してどう文章にして表現していいのかわかりません。
ポルポトが目指した選民思想。理想の社会には頭がいい人間はいらなく、生きる事に純粋な農産物を作れる農民しか必要ないという中国のアドバイスの元、虐殺したのでした。
それはナチスや今までの侵略戦争みたいに、対立する民族を皆殺しにすることではなく、自国民の人民をふるいにかけて殺すと言う前代見門の出来事ではないでしょうか?

私達が生まれたのが、1983年代。ちゃんと自我を持つ頃にはバブルや中東戦争は終わり、ベルリンの壁は崩壊し、世界の情勢はそこまで今とそんなに変わりない物です。
せいぜい、選民思想なんて、ガンダムのシャアや、ナウシカ、人類補完計画、サザンアイズ、バスタード、漫画やアニメ等のフィクションで理解して知るくらいです。
ただここでは、本当にあった。そしてその現実を突きつけられると、怖くて、漫画やアニメで見てた事がうつろだっと、恐ろしくなります。

カンボジア人がカンボジア人を殺し、カンボジア人がカンボジア人を許し、カンボジア人が祭り、カンボジアのお坊さんがここに足を運ぶ。
東西冷戦に翻弄されたカンボジア、ただ全てはカンボジア人が行ってきたのです。
他の国を憎むこともできずに、原罪をかかえている。
今の政権のトップもポルポト時代の政府側の生き残りで、人殺しなどの暗い過去を持っているそうです。
それでも、人々は元気に日常を営んでいる、深い深い国。


また、プノンペンに当時の刑務所跡があり、そこには刑務所に収監された人々の写真が展示されていました。

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大量の写真がありますが、この刑務所に入った人々はほとんど処刑されてしまったそうです。
若い女の子の写真も多くありました。
またキリングフィールドの発見時の写真もありました。怖くて直視できなかったです。

歴史の紹介のようなコーナーがあり、ポルポト(共産主義かつ虐殺者)とロンノル将軍(親米派)の写真がありました。

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ポルポト他共産側の写真には傷がありますが、ロンノル側にはありませんでした。
これを素直に読み取っていいかわかりませんが、民衆の感情が表れている側面ですかね。



たった30年前のカンボジアに、こんな恐ろしいことが起こったなんて、信じられません。
今のカンボジアの立派な町並み、穏やかな人々。
しかしよく見てみると、町には20代くらいの若者の姿が多く、40代以降の中年や、老人の割合が不自然に少なく感じます。
これが30年前の虐殺の名残かと思うと、ゾッとしてしまいます。
リキシャーの運転手のおじさんも、物売りのおばさんも、食堂のおじさんも、その恐ろしい時代を生き抜いてきた人々なのです。
戦争や虐殺は遠いニュースではなく、身近にある。
たった数十年前。同じアジアのこの国で。
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[2011/12/29 20:17] | カンボジア
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プノンペンからバスでシェムリアップという町に移動しました。
シェムリアップには、有名な世界遺産のアンコールワットがあり、これが今回の目的です。

アンコールワットの情報を見ると1日入場券が20ドル、3日券が40ドルと日本の観光地よりも高いのです。
そして全ての遺跡を普通にゆっくり見ると3日ぐらいかかるらしいのです。
途上国が自国民から税金を取るのが難しいから、観光客から取るのは分かります。

だけど、お金を節約したい私達は屈しません☆
すでにインドで、観光疲れしてきているので、3日見てもしょうがないし、あまり日数をかけられない。
なので「1日にしよう、そしてのんびりするか、他の事をしよう」という事になりました。

そしてシェムリアップの宿に着き、宿の情報ノートを見ていると、ベンメリアという遺跡がアンコールワットよりも絶賛されており、宿の壁を見るとちょうどベンメリア行きのタクシーチャーターの相乗りを募集していました。

インドで世間では無名でも、旅人の間で有名だったハンピは良かったので、今回もそれを信じ、
ちょうど募集していることに運命と思い、少し値段が張りましたが(二人で25ドル)陽子を説得していってきました。

シェムリアップから車で約2時間、ベンメリア遺跡に到着。
アンコールワット本体を見ていないので、比べるものが何もないですが、
例えるなら、初めて遺跡を発見した人の雰囲気が味わえる遺跡。
密林に放置されたまま、何も手を加えていないのです。(5年前は今より観光客が少なく、階段・手すり等がなく、さらに雰囲気が良かったみたいです。)遺跡はところどころ屋根が崩れたままで、屋根の状態のまま下に落下して石が散乱しているし、半分だけ崩れかけていて、そこを触るとグラグラしたり、回廊が木に抱かれるように侵食されて良い雰囲気になっていたりします。

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そしてここの遺跡の特徴はどこに行ってもいいのです。ロープもあまり張られていなく、だれにも怒られません。

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子供が上で遊んでおり、手招きされたので陽子を置いて一人で上に登ってみました。

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着いていくと、子供達はパチンコ(ゴムで石を飛ばすやつ)で何かを打って遊んでました。
なかなか命中させるのは難しいらしく、俺が見ている間は打ち落としていなかったのですが、
ふいにポケットに手を突っ込んで、出してきたのが二匹のインコでした。

インコを狙っていたのです。そして食べるのだそうです・・・
死んだインコをポケットに突っ込んでいると言うことに、少しカルチャーショックを受けましたが、それがここの文化なのでしょう。

見せてもらった少年にお礼を言い、その場を離れ陽子と合流しました。

ここまで自由なので、少しテンションが上がってしまいこんな事をしてしまいました。

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気分はプチターザン!!


あまりに俺が自由に移動してたのでは、ついてくる陽子が疲れると思い、また別行動を提案。

さっそく別れた俺は頂上目指して、行動開始。楽しくて仕方がないです。
あっという間に時間が過ぎていきます。

陽子と再び合流して訪れたのが、光があまり届かない暗闇の回廊。
数箇所から光がこぼれるので、素敵な写真が取れました。

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すぐに帰る時間になり、残念にもホテルに戻っていきました。

その日の晩に陽子に感想を聞くと、「疲れて何もあまり覚えていない」と言うのです。
俺との感じ方の違いに唖然としました。

俺はまさに本物の密林ジム、そう感じたのでした。

また遺跡の保存・整理・補修・改築のあり方について考えさせられました。
ガレキを整理して観光しやすいように道を整備して、当時を再現するように作り直すのもわかりますが、
俺はこのベンメリアの、発見当時そのままの保存というのが一番好きなスタイルかもしれません☆


その日の晩、お土産を買いに市場に。
初めて、お兄さんかっこいい、お姉さんキレイという日本語の呼びかけを聞きました。

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怪しいこと間違いないですが、悪い気分はしません。そして交渉した結果、周辺に比べて値段も一番安くついつい買ってしまいました。

またカンボジアには影絵の文化があるらしいので、どんな物か食事と同時に見れるらしいので行ってきました。
中に入ると席は空いているものの、予約で良い席は取られてしまっています。
端に座り、料理を注文し、ショウが始まるまで待つことに。次に入ってくるお客はヨーロッパ系1グループを除き、日本や中国のツアー客でした。

レディースアンドジェントルメンと影絵と共に声が聞こえ、ショウに期待が高まります。
しかしいざ始まると英語ではなく、クメール語で喋りだしまったく何を言っているのかわからないのです。

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影絵も漫談みたいに、二人の人形が立って喋るという影絵で動きがないので、内容が動きで想像できません。
外国人向けにやっているなら、なぜ英語でやらないのか、お客の誰一人理解できない劇、サービス不足、ひどいです。

他のお客はもともと興味ないところツアーで連れてこられたので、酒を飲んで劇そっちのけで大声で喋っています。

裏側に自由に周れるので、みんな裏側を見学しだします。
俺も覗きに行きました。
そうすると影絵の演者までが、めちゃくちゃお喋りしながらやっているのです。

3流の劇に、3流の客、ぴったりだなと妙に納得したし、日本のツアー客はちょっと恥だな~とも感じました。

そして以前見た事がある日本の影絵のほうが圧倒的に良いと思いました☆


[2011/12/29 20:29] | カンボジア
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アンコールワットに訪れる直前、宿の本棚で見つけた一冊の本を読んでいました。
『地雷を踏んだらサヨウナラ』。一之瀬泰造さんという方の書いた本です。

シェムリアップに来る前、プノンペンでキリングフィールドを訪れ、ポル・ポト時代の虐殺の過去を知りました。
この本はポル・ポト率いる共産主義勢力が政権をとる直前の1970年代前半に、カンボジアの戦場に入った青年カメラマンの記録です。
当時シェムリアップはカンボジア政府軍と共産主義勢力の戦場となっていました。
アンコールワットは共産主義勢力の支配下にあり、そこには観光客も、ジャーナリストも近づけず、その姿を見ることもできませんでした。
一之瀬さんは戦地となったアンコールワットを写真に収めることに情熱をかけ、この地で行方不明となりました。
ご両親が彼の遺体を確認したのは、彼が行方不明になってから、10年近くも後のことだったそうです。
彼が命をかけて見ようとしたアンコールワット。私の思い入れも強くなりました。


アンコールワットへは宿から自転車を借りて、ゆっくりと近づいていきます。
アンコールワットへ続く道。
木々の生い茂る森の中を、一本の道路が延びています。

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道路はやがてアンコールワットのお堀に突き当たります。
長い橋を渡って、アンコールワットの入り口の門をくぐります。

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ようやく見えたアンコールワット。

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5本の尖塔が美しくそびえています。
遠めにみても、細かい彫刻が施されているのが分かります。

内部の回廊にもびっしりと彫刻があり、手間をかけて丁寧に作られているのが分かります。
長い回廊に彫刻で神話のストーリーが展開していく様子は、見飽きません。

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3階の回廊部分に上がると周囲を見晴らせます。
門の外は、四方を森に取り囲まれています。

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この森で戦闘が行われ、多くの地雷が埋められていたのだそうです。
今は門の外にお土産屋が建ち並び、商売人と観光客で賑わっています。


アンコールワットから少し自転車を走らせると、アンコールトムという遺跡があります。
こちらの遺跡には巨大な仏像の顔が至る所に彫られています。

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他の国の寺院ではみたことのない、独特なスタイルです。
仏像の表情はどれも優しく、神秘的な感じがします。
素敵だなと思って関心していると、健治は、
「作った人は悪趣味だ。」
との冷静なご意見。
確かに、これが白塗りだったらちょっと怖いかなぁ。


夕暮れが近づき、夕焼けを見にアンコールワットに再び戻りました。
薄紫色の夕焼け空に浮かぶアンコールワット。

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誰もが行きたい場所に自由に行き、見たいものを見れる、平和な時代を願います。 

[2011/12/29 20:37] | カンボジア
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アンコールワットの観光を終え、海辺の町・シアヌークビルにやってきました。
しばらく遺跡や博物館巡りが続いていたので、気分転換です!

カンボジアのビーチなんて聞いたことがないし、きっと人も少なくて静かだろう、と思ってやってきたら、全然違うのです。
海辺には欧米人がやたらと多く、ビーチ一面に並べられた椅子に座っています。
レストランやツアー会社のオフィスも所狭しと建ち並んでいます。
私達が知らなかっただけで、欧米人に人気の観光地だったのですね。。

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こんな賑やかな場所で泳いでも仕方がない、ということで、近くの島のビーチを巡るボートツアーに参加しました。
これがちょっと微妙なツアー‥。
メンバーは私達2人と、フランス人母娘2名、そして、初老の欧米人男性2人に彼らのお連れのカンボジアンガール2名の計8人。
なぜ微妙かと言うと、この欧米人男性とカンボジアンガールの2組が船内で人目を気にせずイチャつくため、周りが微妙な雰囲気になってしまうのです。
欧米男性は紳士じゃないんか~!他所の国だからって人前ではしたない!!
と呆れながらのツアーです。


ボートツアースタート!

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出発して30分位すると、ボートが最初のポイントに泊まりました。
ここは島の岩場のすぐ近くで、珊瑚礁があるとのこと。
12月とは言え日中日差しが暑く、ようやく海に入れるので皆のテンションが一気に上がります。
「1、2、3!!」の掛け声とともに、次々と海に飛び込みます!

しかし‥思い通りに行かないのが、アジア旅行‥。
海は透明度も低く、視界1mくらいしかありません。
珊瑚も死んでいます。
魚も子魚がいるばかり。
フランス人女性は、「小さい魚しかいない!」と叫び、即効で船に上がっていきました。
何故ここで私達を降ろしたのか?疑問を抱えたまま、次の島へ移動。

次の島にはビーチがあり、海も先ほどより綺麗です。

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砂浜は鳴き砂で、歩くとキュッキュッと音が鳴ります。
ここでしばらく泳いだけれど、やはり魚はいません。
元々岩場で泳ぐのが好きな健治はしばらく泳いで、飽きた様子。

最後のポイントは、別の島の岩場付近。
ここは魚いるから、とガイドに言われ、再び海に飛び込みます。
私は疲れたのでボートの上から見学。
しばらくすると、フランス人女性が、「no fish!!」と大きく叫び、帰って来ました。
もうちょっといいポイント探してよ~!!


そんなこんなで、ツアー終了。
健治いわく、沖縄の海のほうが綺麗ということでした。


夜は海辺のレストランでバーベキュー。
波の音を聞きながら飲むビールと、バーベキューは最高です。

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と思っていたら、なんだかお腹の様子がおかしい‥。これはやばい雰囲気!
そしてその後一晩激しい下痢に襲われるのでした。
インドが終わっても、アジアは油断ならない!


翌日もう一つおまけがありました。
夜中寝ている時に部屋の中でガタガタと音がするのです。
これは何かいる!
恐ろしいながらも夜はそのまま寝て、翌日部屋の中を調べてみると‥

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ベッドの下で子猫が5匹、生まれていました。
こんなの日本ではあり得ない‥。
予想外の連続の、シアヌークビルでした。

[2011/12/29 20:42] | カンボジア
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インドからわざわざカンボジアに来た目的は、ミャンマーのビザを取る事でした。

ミャンマーのビザの取り方はネットで調べていたのですけど、いろんな情報が飛び交っていました。

申請したけど取れなかった話、隣のタイで取れと言われた話、時間がかかると言う話もあれば、2日で取れるという話、面接で目的を詳細に聞かれ上手く答えれないといけない等、実際に行ってみなければ分からないものでした。

カンボジアに着いた日に早速、大使館に直行。どんな場所か興味を持って行きましたが、地味な所でした。

入場の記入を済ませ、担当の若くてエリートなさわやかなお兄さんに話を聞きます。

何日で発行できるのですかと聞くと「1週間です」

何が必要ですかと聞くと、「この記入用紙に記入して、写真を2枚、職業証明書が必要です」と言ってきました。

職業証明書??? 私達は無職。どうしたものかと、とっさに正直に私達は無職ですけど、どうしたらいいですかと聞いてしまいました。

担当の人は「べつにないならいいけど、受理するかはわからないよ」と、さわやかな顔して、申請を出しても無駄と遠まわしに脅されたと思いました。職業証明書なんか調べる手段なんかないので、適当に偽造して実家の電話番号でも記入しておけば、問題もなかったのだろうけど、正直に言ってしまったのに後悔しました。

とりあえずその時写真が足りなかったので、一旦宿に帰り陽子と相談。

ビザが取れないのでは、今後の予定も大分異なるし、そもそも航空券も買えないではないか。
この年末の時期に早く航空券を入手しないと高くなるし。。。でもミャンマーも行きたい!
予定が立てれないジレンマ。あのさわやかな顔して平気で言ったあのお兄さんの顔が浮かびます。クソー

職業の件は、すでに無職と言ったので無職にして、付け足しで来年ファーマーになるという事を書き、
たしか面接があるみたいなので、その時に言葉で釈明しようということになりました。


何年か前に日本人のジャーナリストのナガイさんがデモを撮影している時に殺された事件があったと思います。
ビザの取り方を調べると、なんとそのせいで日本人へのビザの発給が厳しくなっているみたいでした。
遠くに感じてたニュースが一気に身近に感じる瞬間です。ただ私達には迷惑な話。


用紙に記入し、もういちど申請に行くと、さわやかなお兄さんが隣にいるものの、今度は女性の方が対応してくれました。記入用紙を見てもらうと「用紙は問題ないです。これで終わりですので、この引換券を持って、書いてある日時に来て下さい」と言うのです。

あれっ、あるはずの面接がない、職業の事も釈明できない、まずい。急遽、旅行用に持ってきている名刺を渡しました。けどものすごい不安です。

そして引換券の日時を再度確認すると、なんと11日後でした。
ミャンマー入国を12日後と書いたので、その前日に取りに来いというのです。
最初に来た時、隣のお兄さんが1週間と言っていたのになぜ??
1週間で出るはずと女性に軽く抗議するも、「一回受理したものは変更不可能よ」と、拒否され、隣のお兄さんは沈黙を守ったまま。
こっちとしては印象が悪くなるから、あまり大きな騒ぎにはしたくないのに。
「このお兄さんが1週間といってたんだよ」と言うと、しぶしぶさわやかお兄さんは口を開けて女性を説得してくれて、1週間に変更してくれました。
お兄さん早く言ってくれよ・・・責任逃れのために沈黙かよ~と思うのでした。
一つの困難は越えても、最大の受理できるかと言う問題は残っています。




アンコールワットの観光、シハヌークビルでのリゾート気分を終えて、再度プノンペンに戻ってきました。

大使館に行くと、さわやかなお兄さんはいなく、日程を変更したおばちゃんだけでした。
あいさつをして、引き換え券を差し出し、緊張して待っていると、「1人20ドルだから40ドルちょうだいね」と言ってきました。
心配してた割に、呆気なくビザが取れてしまいました。

喜ぶのも束の間、宿に帰りネットですぐに航空券を予約。ミャンマーの後も含めて、安い日を選んで
タイ→ミャンマー  ミャンマー→マレーシア マレーシア→インドネシアと3チケットをゲット。
あと4日後にタイから飛行機で向かうのです。
そして明日の早朝のタイのバンコク行きのチケットもゲット。



カンボジアの思い出



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カンボジアで売っていた中国上海日本豆腐。中国企業が作った物。日本の名前がないと売れないのかと思ったり。


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陽子がカンボジア料理を絶賛。インドの料理は美味しいと感じてたのですが、本当の美味しいという味がどういうのか思い出せました。


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アンコールトムのミニバージョン(仏塔の先端に仏陀顔)。
今でこそ、風化して印象は良いですけど、あれが金色に塗られているとこんな感じ。どうでしょうか?



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インドと違い空気が綺麗で、空の青がはっきりしている。それだけで感動。

そんなカンボジアも明日でオサラバ。
ビザを取る間はのんびりしていましたが、これからは忙しそうです。。。

[2011/12/29 21:02] | カンボジア
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タイに向けて、プノンペンを朝の6時にバスは出発しました。
途中で気がついたのですが、なんと出国用のカンボジアのEビザがなかったのです。

どこで無くしたのかなと思い出していたら、ミャンマー大使館に提出したまま、返却してもらえてないことが発覚しました。
ミャンマー大使館を恨みました。そしてあのさわなかな人の顔が浮かびます。クソー

プリンターのある場所さえあれば、カンボジアのEビザ(インターネットとクレジットカードで発行できる、自分で印刷するビザ)を印刷できるので、バスが休憩するたびに必死で探しますが、荒野の真ん中の休憩所だったりするのでなかなかありません。

以前、中米のグアテマラとベリーズとの国境をバスで越えようとした際、日本人の二人だけビザを取得するのに長時間かかり、置き去りにされた事がありました。
今回もカンボジアとタイを直接結ぶバスで、置き去りになるかもしれないので、スムーズにいけるようにどうしても印刷したかったのです。

この辺の考え方が陽子と俺は違い、陽子はどうせなんとかなると、どっしりかまえている感じでした。なにそんなに必死になっているのという感じで俺を見ます。

そうこうしているうちに、タイとの国境に到着。
直接国境の人になくしたと言って、何とかしてもらう方法もあるかもしれないのですが、国境ではできないかもしれないし、時間がかかるかもしれません。


バスから降りて周りを見ますが、見た感じプリンターのある場所はありません。手当たりしだいパソコンがあるお店に聞いていくと、4件目ぐらいで印刷でき、おかげでスムーズにカンボジアの出国スタンプを押してもらうことができました。

そのあと安心してタイとカンボジアの境に歩いて行きます。
カンボジアの国境線を越えて、すぐに陽子が「左側に到着と書いてあるから、タイの入国はあそこかな」と言うのです。

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写真右側のアライバルのが陽子が間違えた物。

右側通行のカンボジア、国境を越えてすぐ左側に見える入国、それはカンボジアの入国でしょ!!!
陽子はカンボジアを出国し、すぐにまたカンボジアの入国に並ぼうとしていたのです・・・

俺があれだけ急いでプリンターを探して印刷したのに、そんなミスを犯そうとするなんて。
もし陽子が一人だったらどうなっていたのでしょうか???すごいエピソードになってそうです☆


いろいろありましたが、タイ側まで100メートルぐらい歩いて、無事入国しました。

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タイ側の国境。 豚が大量にカンボジア側に運ばれています。
入国後は小さいワゴンに分乗し、バンコクまで目指します。

タイに入るとまずビックリしたのが、道路の綺麗さ、そして二車線あることです。
カンボジアの田舎はほとんど1車線で道もデコボコしているのでゆっくりでしたが、タイに入ってから70キロ80キロぐらいで飛ばしてきます。
ネパール、インド、カンボジアと道路事情が悪い国が続いたので、その速度は久しぶりで、めちゃくちゃ早く感じ怖いくらいでした。不思議なものです。

そしてビルの多さ大きさもすごかったです。ネパール、インド、カンボジアの首都とは比較になりません。
「東南アジアの優等生」の名に恥じない経済の発展ぶり。夜も明るいので安心です。

タイは会社員時代二人とも訪れたことがある場所なので、それほど観光せずにお土産を買ってのんびりすることにします。



[2011/12/29 21:09] | カンボジア
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